• 2016年07月

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 植川が目覚めたときには、既に祭囃子が聞こえていた。

 まだぼんやりとした頭で裏手の茂みから社へと出ると、大勢の客でごった返している。夏の宵闇の空の下、屋台の裸電球と祭提灯の光に照らされ、誰もかれもが浮かれている。その溢れんばかりの現実味を伴った光景に、彼は目を瞬いた。


(…やっぱ夢やったんとちゃうか? 立花優理とお祭りデートとか…)


 どうにも、昼間の体験が空々しい白昼夢だったような気がして、彼はすっかり乱れてしまった髪に指を突っ込み、ワシャワシャと頭を掻く。どうにも、気を失う直前の記憶も曖昧であるし、釈然としない―いったい自分が何をしたというのか。


「ぶみゃっプー」


 被害者意識を昂ぶらせている植川の足もとで、ぶさいくな猫の鳴き声がした。
 見やると、でっぷりとした黒猫が植川を馬鹿にするように尾を揺らしている。確か、日なた窓と呼ばれ商店街で愛されている猫だ。

 不愉快に感じた植川は、爪先を上げて、しっし、と追い払おうとしたそのとき―左方から、鋭い視線を感じた。


「…?!」


 思わず息を呑んだ。
 鳥居をくぐり、一人の少女がまっすぐと、自分に向かって歩いてくる。

 彼女は初夏を思わせる薄水色の生地に、鮮やかな向日葵をあしらった浴衣を着こなしていた。紺地に花火の刺繍がよく映える帯がアクセントになっている。短い髪の右に留められた大きな紐飾りは、萌黄や薄紅、紫紺など、色とりどりの紐が吉祥結びにされていて、黒い髪に大輪の花が咲いているようだ。

 その出で立ちも素晴らしかったが何より植川の眼を釘つけにしたのは、彼女の顔だ。


「お、おまえ…」
「……」


 少女は植川の前に立つと、その奥二重の眼差しで冷ややかに睨みつけた。
 ユキだった。

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 一目惚れだった。それは嘘じゃない。

 入学してすぐ、植川のことがすきになった。どうしてか、なんて聞かれると困るのだが、やはり同い年にしては少しシャレているところなのかもしれない。

 そんな感情は初めてで、ユキは戸惑った。いつも活発なキャラクターで通している自分が、男子を見て胸を切なくしたり、弾ませたりしている。そんないかにも乙女な振る舞いなんてできないし、バレるのも恥ずかしかった。だからそれは彼女だけの秘密―大事な友達にも打ち明けられない想いだった。

 最初は、見ているだけでよかった。でもいつからか、合同授業が待ちきれなくなった。気が付けば視線を巡らせて、彼のことを探すようにまでなっていた。自分でも滑稽に思えるのに、止められなかった。

 そして、夏休みが間近に迫ったある日、彼女は思い余って告白する決意をしたのだ。

 彼女がいるだろう、とは思った。男女問わず友達が多いみたいだし、女子ときわどい絡みをして生活指導の先生に怒られているのを見たこともある。でも、自分がこういう気持ちでいるということを、彼に知ってほしかった。ただそれだけでよかった。

 だから終業式の日―誰より早く学校にきて、植川の下駄箱の中にメモを入れた。みんな帰った後、視聴覚室に来てほしい、と。特別教室にはいずれも特に鍵はかけられていないのだが、校舎の端にある視聴覚室なら誰にも聞かれる心配はないだろう―そういう選択だった。

 結果は惨憺たるものだった―植川を前にしたユキは想いが空回りして、ろくなことを喋れなかった。まともな言葉になったのは、名前と、すきだ、ということだけ。自分でもいたたまれなくなって、彼がなにかを言う前に視聴覚室を飛び出てしまった。

 廊下に出て、ユキは足腰が立たなくなってしまって、へなへなとその場に座り込んだ。ほぼ人がいなくなった校舎で、いやなほど大きく聞こえる自らの心音に苛立ちながら、ユキはあり得ないものを聞いた。


『あー、世紀の瞬間って感じ? おもしろかったわー』


 あれだけ熱くて仕方のなかった身体が、一気に冷えていくのを感じた。知らない男子の声が、背後から―視聴覚室の中から、聞こえてくる。

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 辺りが徐々に、宵闇に呑まれていく。

 八奈結び神社は、商店街から歩いて十分。道中は一軒家が多く、ところどころに商店やコンビニがあるくらいだが、お祭りに便乗して屋台が並んでいる。大半の店でもう準備は終わっていて、早く集まってきた人を相手に商売を始めているところもある。境内に導くように通りを縁取る祭提灯。そこに明かりが点るのも、もうしばらくのことだろう。

 ユキは植川とふたり、神社に向かってそぞろ歩きしていた。

 綿菓子いる? かき氷は? そう訊かれはするのだが、ユキは俯いて首を横に振るばかりだった。この様子を、植川は不審に思ってもよかった。が、お祭りの醸しだす非日常感と、何より評判の美少女を連れて歩いているという事実が、彼を異常に興奮させていた。ろくにユキの顔を覗き込むこともしない。


(…ほんま、しょーもな)


 俯いたユキは、揺るがない勝利にはやって笑い出さないよう、必死で堪えていた。

 もうすぐで、事は成る―終業式から今日まで、ずっとずっと練り上げてきたこの復讐は、あと少しで成就するのだ。

 最初の一週間は、立花優理のストーキングに費やした。どういう仕草で、どういう表情で、男たちを丸め込むのか観察しながら研究し、なりすますために最適な写真を撮った。それと同時に、植川宅に手紙を投函した。適当な理由をでっち上げて今日のデートを提案したら、書き添えていたメールアドレスに即行で返事が来た。それからというもの、メールでやりとりをしながら、今日を迎えるための予行演習を何度も隠れて行った。バス停での待ち合わせ練習から始まり、商店街の街歩きは何パターンか考えて、最後―八奈結び神社の境内、その裏手の茂みに誘い込む。その道のりを、自然と辿れるよう、幾度となく歩いた。

 その努力は、着々と結実している―神社の鳥居をくぐった。ユキは心の中で快哉を叫ぶ。

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 そして、一時間ほど経ったころ―


「終いや、目ぇ開けてみ」


 最後の仕上げを施したアキさんが、こともなげにそう言った。

 そわそわとソファで待っていたなずなも、思わず立ち上がり鏡を覗き込む。白布の前掛けを取り払われたユキが、肩を小刻みに震わせているのがまず目に入った。

 彼女の顔を映しだす前面の鏡をみて、なずなは、またもぽかんと口を開いた。

 奥二重であるユキの双眸が、くっきりとした二重を描き出している。それを縁取る長い睫は付けたものであるはずだが、もとからそこにあるように自然だ。アイラインはきつすぎず、しかし垂れ下がって愛らしい目尻をさりげなく演出していた。

 眉も、調えた程度で大きく剃ったりはしていないのだが、彼女の気の強さの表れだったようなへの字型がゆるやかなハの字を描いている。眉頭から眉尻までに見受けられる繊細な墨の濃淡がその要因だろう。

 そう、すべてにおいて色彩が麗しく調和していた。白すぎず、しかし清廉な印象を生み出すファンデーションの妙。上気しているようにほの赤く色づく頬は目に鮮やかだ。紅を塗り重ねグロスの光沢を湛えた唇は、ぷくりと立体的で思わず触ってみたくなる。

 写真で見た立花優理そのもの―よりも数段、美少女然としたその姿。

 ユキ自身も、想像以上の仕上がりを信じられないのか、頬に手を当て確かめていた。質のいい黒髪のウィッグがそれに合わせて、ゆるやかに肩口で踊る。もし自分でもそうしただろう、となずなは思う。

 ユキもなずなも、世間で言うところのいわゆる〝地味顔〟というやつだった。なずなは上向いた鼻を密かに気にしているし、ユキのコンプレックスは奥二重だ。それでも、感情に合わせて表情のよく変わるユキを魅力的だとなずなは思っているのだが、そう本人に言うと冗談扱いされる。なずなもなずなで、小鼻でええなぁ、とのユキの言は信じられない。

 そんな〝地味顔〟同盟の盟友が華麗に変身したのだ。なずなにとっては他人事でない。


(……うちも、あんなかわいくなれたら、はっきり言えるやろうなぁ…)


 パンパン、と手の鳴る音でなずなは我に返った。アキさんが、ひとまずの片付けを終え両手をはたいたのだ。いつでも自信に満ち溢れ、腕前を誇って見せるこのオシャレ番長は、なぜかこの時はどこか冷ややかな面持ちで鏡の中の彼女の客を眺めていた。

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「なに、気に入らへんか? 贅沢な奴っちゃなー、本場ブロードウェイ仕込みのメイクやで?」


 歌でも口ずさむように、アキさんは言う。若い頃渡米したアキさんは、ミュージカルの聖地・ブロードウェイで舞台メイク千人切りをして腕を磨いてきたらしい。その真偽は誰も知らない。

 いつものなずなならここで食い下がるのだろうが、今日はそうはいかない。彼女は待ち合い椅子の上に出しっぱなしにしていたティーン誌を、むんずっ! と掴み、半泣きになりながらアキさんに突き出す。


「ちゃんと言いましたやんかぁ! こういうのがええって!」


 示された見開き特集ページは次のように続く。


『片思い女子の新定番☆キラキラサマーラブリーメイクアップ―カレをデートに誘っちゃう? 勇気がもてない女子はコレ!』


 コレ! と矢印が伸びた先には、雑誌の専属モデルだろうか、可愛らしい女子がメイクする様子が段階的に写され、最終的には仕上がった化粧とおあつらえ向きな浴衣姿になってポーズを決めていた。確かに、こんな娘が小首を傾げて「ね、デートしよ?」なんて言った日には大抵の男はイチコロ、そんな有様である。

 が、アキさんは惑わされない。パッと箒を手放したかと思えばその勢いでなずなから雑誌をひったくり、逆に突きつける。


「この化粧が似合うのは、このモデルみたいな〝パッチリ猫目・薄めの眉毛・控えめな鼻・薄めの唇〟な顔立ちの娘だけや! この浴衣が似合うのは、こいつがスレンダーなモデル体型やからや!」
「うっ!」


 怯むなずなに追い打ちをかけるよう、アキさんは雑誌を下げるとその代わりに、どこから出してきたのか、大きめの手鏡をバッとかざす。


「ほぅれ、現実と向き合うお時間やで? 自分の顔をよー見てみ?」

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 しゃわしゃわしゃわ……―八奈結びの通りに、蝉の声が一層元気に鳴り響く。

 午前八時半。商店街の通りには人通りもまばらだ。水撒きを終えたお茶屋の息子・南田は、軒先に出しているベンチに腰掛け、気だるげにうちわで仰ぎながら一休みしていた。

 さきほど、境内のラジオ体操を終えた子どもたちが、蝉に負けじと言わんばかりにはしゃぎながら帰って行った。夏休み恒例の光景だが、南田はそこに漂う、いつもと違う高揚感に微笑んでいた。

 そう、今日はお祭りの日。

 日暮れから八奈結び神社で、年に一度の夏祭りが開催される。

 もうしばらくすれば、商店街も出店や屋台を組み立てるので、慌ただしくなるだろう。南田のお茶屋でも、抹茶ソフトクリームの出店をやるので、昨日から準備に追われている。


(祭りかー…あーあ、一緒に周りたかったなぁ…)


 彼は自嘲気味に空を仰ぐ。夏休みとはいえ、これと言って特別なことはない。基本的には受験のために予備校に缶詰し、あとは店の手伝いを少々。何か少しくらい、ときめくような思い出が欲しい。そう、すきな娘とお祭りデート、とか。

 したい相手なら、いる。同じ委員会の、二年生。誰もやりたがらない美化委員の仕事に、積極的に参加する笑顔がいいな、と思ってる。が、無論告白する勇気も、そもそもろくに話したこともないのだった。そういうチキンにお似合いの夏を過ごしている南田である。

 はあ、とため息をついていると、そのとき右手から、ずりっ、ずりっ、と引きずるような足音がした。


「…なっちゃん?」


 南田は目を丸くしながら、足音の主に訊ねる。

 声を掛けられた彼女―なずなは、なぜか鞄で顔を隠しながらすり足にて行進している。


「あ、えっとー、もしかして南田センパイ? こんにち」


 は、と、なずなが最後の一音を口にするのと、右足を通路のでっぱりにひっかけるのは同時だった。

 たちまち、なずなはズッテーン! とズッコケる。

 彼女が転倒しなかった日は一度もない。ともかくなずなは、よくこける。それがどこであれ、いつであれ、こける。「なっちゃんのこけてるん見ぃひんと、なんや一日始まらんわ」なんて言う輩もいるほどである。本人は至って真剣にこけまいと努力しているのだが、それは今のところすべて徒労に終わっている。

 商店街理事長の孫娘で、昔から八奈結びを遊び場にしていた彼女のことは、南田もよく知っている。そして高校でも、しょっちゅう彼女がこけているのを目撃した。


「そないけったいな格好で歩いてるからやで?」


 南田は苦笑しつつも、手を差し伸べながら近寄った。

 そう言えば、美化委員のあの娘がよくなずなと一緒にいたのを思い出す。もしかして友達やろか、ちょっと聞いてみよか…なんて南田が思ったところで、うつぶせに倒れ込んだなずなが起き上がる。


「す、すみません! 大丈夫やから!! …あっ!」


 隠していた顔がオープンになっていたことに気づき、なずなはまた慌てて鞄で顔面を覆った。そして硬直している南田にぺこぺこ頭を下げ、その場から一気にダッシュで離脱する。

 南田は今目にしたもののインパクトに圧倒されていたが、


「………まぁ、お祭りやしな」

 自分に言い聞かせるようそう呟き、見なかったことにして、店の中に戻った。

 通りを曲がったなずなの、勢い余ってまたこけた音が、朝の八奈結びに響く。

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 反射的に野球帽は両目を閉じて、その瞬間を耐えようとした。

 だが…いつまでたっても、その時が来ない。

 恐る恐るまぶたを押し上げる野球帽の耳に、知らない誰かの声が聞こえた。


「……ハァ、ハァ……千十世…落ち着け…!」
「……離せや、シゲ……」


 今なお猛る力を漲らせた千十世の右腕を、寸でのところで繁雄が取り押さえていた。

 実際間に合わせるために全速力で掻けてきたのだろう、繁雄は息を荒くしながらそれでもまっすぐ千十世を見据えている。力ずくで引っ張って、なんとか少年から引き離した。

 この妨害に、千十世は敵意をむき出しにして繁雄を睨みつける。


「なんで邪魔すんねん! こいつは美也を―」
「やから落ち着け言うとぉやろが! 美也は無事や!」


 我を失っている千十世に繁雄は懸命に話しかけるが、無駄だった。千十世の頭には野球帽が美也を突き飛ばした場面ばかりが延々と垂れ流しで再生されているのだ。押し黙っていても、野球帽に対してどう報復するかしか考えていないことが繁雄にもわかった。

 いつもは掴みどころがなく飄々としている千十世が、美也に何かがある時ばかりは豹変したようになる。

 昔から一緒に育ってきた繁雄は、もう何度もそう言う場面を見てきた。そういうときの千十世は、その細い体のどこにそんな力があるのかというほど猛烈な暴力を振るう。普段の冷静ぶった素振りなどまるで吹っ飛んで、手負いの野生動物のように猛り狂うのが常だった。

 共に両親がいない、ということで他人には言えない苦い心情を共有してきたつもりの繁雄も、時折覗く千十世の凄絶な一面は理解の範疇を超えていた。こういうとき、彼は千十世と美也の二人と自分たちとの間に、途方もない隔たりを感じて、いたたまれなくなる。

 一体どんな経験が、千十世をこんなにしてしまったんだろう。

 今も、自分では己を抑えきれない千十世を前にして、繁雄が感じるのは鈍く重く響くかなしみだった。
 自分が何を言ったところで、千十世には届かない―制御が利かないほど乱れ荒ぶ感情の渦から、引き上げてやることが出来ない。

 祈るように、心の中で繁雄は叫んだ。誰か千十世を助けたってぇや―誰か!


「チィ坊―何をしとるんや」

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プロフィール

世津路章

Author:世津路章
一次創作小説を書いています。

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◆リンクについて
当ブログはリンクフリーです。ただし、アダルト・宗教系サイトは除きます。
◆作品
当ブログ及び小説家になろうにて、『ミス・アンダーソンの安穏なる日々』『八奈結び商店街を歩いてみれば』を連載しました。前者はおねショタ小説で、2017年7月に電撃文庫より刊行されました(無敵の女傭兵ミス・アンダーソンを抹殺すべく派遣された羊ショタ執事悪魔(レベル1)のどたばたコメディ)。後者は大阪のどっかにある商店街が舞台のなにわ人情お約束劇です。

アイコンは岡亭みゆ様にご制作頂きました。

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