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  • 2016年08月

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 珍しく、夏の青空が曇天の向こうに引きこもってしまった。

 クリーニング屋の下川さんは軒先に出て、どうしようかと思案しながら空を仰いだ。雲はまだ薄く、朝の八奈結びをほの明るい光が照らしているが、西のほうが暗くなっているのが見える。台風が近づいているのだ。先ほど見た予報では、この辺りを台風が通過するのは今日の夕方ごろ。だが、まだ太平洋側に逸れる可能性もあるらしい。とはいえ風は既に強く、まだ上げていないシャッターをしきりに叩いて不吉な音を鳴らした。


(どないしょうかいな…風よけのベニヤなんかつけるのも億劫やし…)


 御年六十五歳、まだまだ現役で通している下川さんだが、さすがに最近は体力に衰えを感じていた。来るかもわからない台風に備えて多大な労力を払うのは、出来れば避けたいところだ。 

 そう逡巡している間に、向かいの店のシャッターが、ガララッと、威勢よく開かれた。

 上山呉服店店主・上川さんがベニヤを手にしながら出てきて、にやりと不敵に笑ってみせた。


「おうおう、やっぱりトンマやのぉ、台風が接近しとるっちゅうんにそないのうのうと」
「ふん、急いては事をし損じる、ちゅうやっちゃ。台風が来るかもわからんっちゅうのに」
「はっ、そういって去年看板丸ごと持ってかれて泣きべそかいとったんはどこの誰や?」
「それを言うならなんや、店のガラスを植木鉢にぶち破られてカミさんの雷受けたんはどいつやねん。…あ、そーいうわけか、早速雷落とされて、こない早くから大工仕事っちゅうわけか。はっは、こりゃ傑作や」


 同い年で幼馴染の二人は、昔からのライバルだった。顔をあわせれば何かといがみ合い、罵り合い、最終的には怒鳴り合う。店が向かい合っていたのが最大の悲劇だが、片方が旅行かなんかでいないともう片方がしょんぼりしているので案外満更でもないのか、という噂が八奈結びには流れている。が、それはさておき。

 早くも上山さんのボルテージは、全く年甲斐なく最高潮に達していた。要するに、下川さんの揶揄が図星だったのだ。息を大きく吸い込んで、ご近所迷惑この上ないオヤジの怒鳴り声を発さんとした、まさにそのとき、


「メ! やで」


 と、幼い声が割って入った。

 キョトンとして、ふたりはきょろきょろあたりを見回した。が、声の主は見当たらない。


「『ケンカ、ダメ、ぜったい』、やで」


 同じ声がまたして、ようやく二人は思い至り、視線を下に向ける。

 果たして、そこには美也(みや)がいた。

 朝のラジオ体操の帰りなのだろう、首から出欠のカードをぶら下げている。白いワンピースと麦わら帽子がいかにも夏らしい装いだったが、肌は白く、汗の浮かんだ形跡もない。前髪の切り揃えられた黒いおかっぱ髪も、この湿気にも関わらずさらりと涼やかだった。

 じ、と、アーモンド型の黒い両眼が、下川さんと上山さんを見つめている。この目で見られると二人とも―そして八奈結び中のお年寄りの大半が―たじたじになってしまうのだった。


「い、いや、別にケンカしてたわけやないで?」
「……」
「そうそう、こんなん挨拶っちゅうか…」
「……」


 しどろもどろと言い訳するじいちゃんズを、美也はずっと見つめ続ける。
 幼く、不純な意図をなんら含まないその眼差しに、二人はこれ以上言い合いを続ける気力をすっかり抜かれてしまった。しかめていた顔を情けなく緩ませて、下川さんと上山さんはそれぞれ美也の頭を撫でた。


「ほんま、みっちゃんには敵わんなぁ」


 上山さんはそう言って、ベニヤ板を打ち付けるべく店の他のシャッターも上げ始めた。下川さんも、彼女に手を振ると大工道具を取りに店の中に入っていった。

 美也はそして、歩き出す。

 その傍らを強い風が吹き、麦わら帽をさらって行こうとするので、つばを両手で掴んだ。そのときにも大して表情に揺らぎはなく、そう、まるで、無表情なのだった。

 まるでお人形さんみたいやなぁ―商店街の人々によくそう評される少女は、ふと空を仰いだ。

 暗雲はまだ、遠くでぼんやりと渦巻いている。

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世津路章

Author:世津路章
一次創作小説を書いています。

◆リンクについて
当ブログはリンクフリーです。ただし、アダルト・宗教系サイトは除きます。
◆作品
当ブログ及び小説家になろうにて、『ミス・アンダーソンの安穏なる日々』『八奈結び商店街を歩いてみれば』を連載しました。前者はおねショタ小説で、2017年7月に電撃文庫より刊行されました(無敵の女傭兵ミス・アンダーソンを抹殺すべく派遣された羊ショタ執事悪魔(レベル1)のどたばたコメディ)。後者は大阪のどっかにある商店街が舞台のなにわ人情お約束劇です。

アイコンは岡亭みゆ様にご制作頂きました。

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