• 2016年08月

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 ガランガラン! とけたたましくビューテ・アキの扉を開けて、和希は中に突入した。


「やっかましいわ、もっと静かに入ってこられんか」


 とは、奥のソファでおせんべいを齧りながら雑誌を読んでいた店主・アキさんの言だが、大して怒ってはいない。なんとなく、こうなる予感はしていた、そんな感じである。

 和希はこれに答えもせず、ずんずん奥に進んでいく。ソファには他にタマばあと、その隣にもうひとり別のおばあちゃんが座っていた。このところよくうどん屋にも食べに来てくれる、宮前さんだ。


「あ、あのな、タマばあ、その…」


 意を決して来たものの、さっき飛び出て行った手前もあり、和希は口ごもってしまった。そんな少女をほほえましく見ながら、タマばあは宮前さんに頷いて見せた。宮前さんも柔らかく微笑んで、テーブルの端に置いてあった小さな包みを手に取る。そして立って和希の前まで行くと、手にしたものを差し出した。


「これ、取りに来たんやろ和希ちゃん」
「えっ? でもこれ…」


 思わず受け取ってしまったが、丁寧に包装された包みに見覚えはなく、和希はうろたえた。シンプルだが上品なデザインで、小さなリボンが片隅にデコレーションされている。宮前さんは穏やかに言う。


「中身は確かに、和希ちゃんのものや。勝手にラッピングしてごめんな…でも私もちょっとだけ、お手伝いしたかったんや」
「宮前さん…」
「うどん屋さんに行くと、いっつも繁雄くんがおいしいうどんを出してくれて、和希ちゃんが賑やかにしてくれる。それが、ごっつ嬉しいんや」


 宮前さんの言葉は、ひとつひとつ、じんわりと和希の心にしみていく。宮前さんはひとりで暮らしているのだと、前に美也が話してくれたことがあった。それを思い出して一層、和希は彼女の気持ちを強く感じ取った。包みを持つ手に、ぐっと力が入る。


「宮前さん、おおきに…! アキさん、タマばあも、あんがとな!」


 精一杯の笑顔で言って、和希はまた走り、店を後にする。

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「こんにちは、角井さん!」


 角井豆腐店の軒先で、蝉に負けずにやかましい声が響く。ショーケースの中に豆腐を入れていた店主の角井さんと、奥さんのみさこさんが顔を上げると、よく見知った女の子―和希が立っていた。みさこさんは笑って返す。


「あらぁかっちゃん、こんにちは。今日はどしたん?」
「あんな、これもらったってんか!」


 和希は少し背伸びして、ショーケースの向こうの角井さんご夫婦に、手にしていた緑のビラ、その最後の一枚を渡す。一目見て、角井さんは頷いた。


「ああ、秋の八奈結び運動会のお知らせか。今年のメイン決まったん?」
「せや! 今年はなー、野球やで!」


 毎年、八奈結びでは町内会と商店街がタッグを組んで、ご町内対抗の運動会を秋に開催している。一日掛かりの大イベントで、午前の部では徒競走や玉入れなどが行われ、午後の部は毎年替わる団体競技が催される。この団体競技は事前に募った有志チームの対抗戦だ。去年はサッカーだったが、メインターゲット層の若手が集まらないという悲劇が発生した。のみならず、ほぼ走りっぱなしの競技だったので、参加層の大半を占める中高年から大ブーイングが巻き起こった。

 このため、一部過激派の画策により今年はゲートボールが選ばれかけたのだが、本格的に若年層が寄りつかなくなるとの懸念から辛うじて阻止され、折衷案でみんなだいすきベースボールが選ばれたのだった。

 ご多分に漏れず野球ファンの角井さんも、頬を緩ませる。


「ええなぁ。今年は俺も出てみようかな」
「やめときやめとき! アンタが出たところでバット折りまくって終わるだけやわ!」


 即座に大笑いしたみさこさんに心を折られた角井さんは、巨体をしょんもり小さくさせて、店の奥に退散した。この夫婦は往々にして奥さんの立場の方が強く、加えてその異色の経歴と普段のバカップルっぷりの強烈さから、商店街の名物のひとつになっている…という余談はさておき。

 みさこさんはショーケースから少し身を乗り出し、和希の顔を覗き込む。


「野球やったらシゲちゃんも出るんやろ? 楽しみやわぁ。なかなかガッツあるプレーしよるからな、あの子」
「アニキも…?」


 そのときになって、和希はようやくその可能性に思い至った。

 そう、中学を卒業するまで、彼女の兄・繁雄は野球に励んでいた。亡き両親の跡を継ぎ、うどん屋を切り盛りするようになってからは試合中継を見るくらいで、まったくそんな素振りは見せないが―


(そうや、アニキ…野球すきやったもんなぁ)

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 さて、夏休みも終わりに差し掛かったある日の八奈結び。

 和希は、いつも見せているあけすけな笑顔はどこかにやってしまって、しかめっ面をしていた。といえども、不機嫌ではないのだった。手にしたそれを、穴が開かんばかりに延々と睨みつけている。

 それは長方形の黒い布だった。夏休みの自由研究…というのでもない(彼女の場合、夏休みの課題は最終日に往生際悪く泣き叫びながらなんとかやっとこなすのである)。両手でしっかり掴んだそれを、和希は時折眼前にかざし、その度に頭をぶんぶん振って膝の上に落とす。


「よう出来てるで、かっちゃん」


 そう柔らかく言ったのは、タマばあだった。

 和希が今いるのは、商店街唯一の美容室《ビューティ・アキ》だった。店の奥にある四人がけのソファでは、ときどきタマばあによる裁縫教室が開かれる。繊細な刺繍を丁寧に教えてくれるタマばあの講義は人気で、若いママさんからおばあちゃん方まで幅広く集まってくるのだが、今日の生徒は和希ひとりだけだ。

 和希が手にしている黒い布には、優しい色合いをした水色の刺繍糸で、シンプルな線が横に流れて縫い取られている。線は二重になってうねり、波の模様を表している。そして右の端に、〝S〟と小さく、ややいびつな格好で刺繍されていた。


「なんやあんた、不服なんかいな」


 会計の終わったお客さんを見送り、店の中に帰ってきたアキさんが言った。タマばあとは対称的に、年相応の熟慮などまるで持ち合わせない、意地の悪い笑みを浮かべている。


「タマさんを三日間も占領して、贅沢な奴っちゃのぉ。本来やったら特別受講料請求されてもおかしないねんで、自分」
「もう、アキちゃん」タマばあが呆れ半分に口をはさむ。「なに言うてんのん。そんなん要るわけないやんか」


 ふたりのやりとりをよそに、和希はあくまでも黒い布から視線を外さない。そんな彼女を見て、タマばあは眦に刻まれた皺を一層深め、微笑んだ。


「どうしたん、あとは渡すだけやろ?」


 わかっていながらも、タマばあはちょっと試すようにそう訊いてみる。すると和希はもごもごと口を動かして、


「…せやけど、こんなん……ウチらしくないっちゅーか……」


 と、言葉尻を濁した。


 そして、アキさんがそれをからかおうと口を開けるより前に、和希は立ち上がる。


「あーもー! やっぱやめやめ!! タマばあ、ごめんな!」


 そして手の中の黒い布をさっとテーブルに置き、バタバタと店から出て行った。

 ガランガランガラン! と、やかましく鳴り響くドアベルを聞きながら、アキさんは呆れた、と溜め息を吐く。その隣でタマばあが、くすくすと笑い声を立てた。


「ほんま、そっくりやなぁ」


 開けっ放しにした扉の向こうから、しゃわしゃわしゃわ…と蝉の鳴き声が聞こえてくる。

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 気が付けば、美也は久保田古書店にいた。

 外では、雨が降っている―降り出したばかりの、天気雨。

 カチャン、と背後で音がしたので振り返った。美也の足もとに、ボールペンが転がっている。


「ごめん、勢い余ってすっぽ抜けちゃった。とってくれる?」


 カウンターの向こうで、千十世が苦笑しながらそう言った。さっきまでずっと止まっていたあの右手が、美也の方へと差し出される。

 そう―キューはまた、行ってしまった。

 どこか別の、歪みに耐え切れなくなった場所はないかと見回る、あてもなく、果てもない旅に出てしまったのだ。

 彼が去り、世界が再び動き始めた今、あの止まった時間の中の出来事は、きれいになかったことになってしまった―なずなは今頃犬に吠えられてこけているだろうし、和希は吉田ととっくみあいの真っ最中だろう。

 あの止まった世界の中、何か悲しいことを回避しようとどんなに美也が立ち回ったところで、すべてなかったことになってしまうのだ。これまで、何度繰り返しても、そうだった。そのことは、美也自身だってわかっていた。


 そんなことしても意味ないっていうのに―


 キューのその言葉が、美也の脳裏に過る。

 そう、止まった世界で何をしようと、無駄なこと―ボールペンを拾いながら、美也は改めてその事実を噛みしめていた。


(でも、キューは言うとった)


 立ち上がり、ボールペンを千十世に差し出しながら美也は考えている。
 そう、自分が望むならどこへでも行ける―彼は確かに、そう言ってくれた。


   ◇◆◇


 結局、台風は逸れてしまって上陸しなかった。

 午前のあの天気雨の後は、憎々しいくらいきれいに冴えた青空が広がった。商店街の人々はホッとしながらも悪態をつきつつ、午後からは台風対策の片付けに追われていた。

 久保田古書店でも、千十世が申し訳程度に半分下げていたシャッターを上げるなどして、だらだらと普段の店構えに戻す作業をしていた。美也は先ほどからその背に何度も声を掛けようとして、店の入り口で躊躇っている。

 すると足もとで、


「ぶみゃあ」


 と、ぶさいくな猫の鳴き声がした。

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 止まった世界の中、美也とキュー、日なた窓はどんどん進んでいく。

 長い間立ち入ることを禁止されていた区域は、やはりどこか鬱屈とした空気を漂わせていた。何もかもが止まってしまって、彼女らが歩いていく以外に衣擦れの音もしないのであるが、ここに限ってはもうずっと大分前から、そんな状態になっているような感じがした。夏だというのに、どこかうすら寒くて―美也は剥き出しの二の腕を、そっとさする。

〝売却〟と看板の掛けられた平屋、ポストの口からチラシを溢れださせているアパート、ゴミが溢れて家垣から覗いてしまっている古屋敷、錆びついたブランコがあるばかりの小さな公園―時の流れに乗る気力もなく、朽ちていくに任せているような光景。

 美也はアーモンド形の双眸をしきりに瞬きながら、それを眺めていた。肌を、チリ、と焼くような拒絶を感じる。だが同時に―何か神経がこの空気感に馴染んで、不思議な安らぎを抱き始めてもいる。それがどういうことなのか、幼い彼女にはまるで判断がつかず、足を進めながら視線を彷徨わせるしかなかった。

 キューの目的地は、商店街から出てさほど遠くではなかった。工具箱から鳴る音色が止まったのでハッとして美也が顔を上げると、キューはあからさまに面倒くさそうな顔をして、溜め息を吐いた。


「ああ、これは大分でかいね」


 美也がその視線の先を辿ると、そこには一軒の民家があった。先ほどまで見てきたような朽ちかけの家々よりは随分とマシで、門前はきれいに掃き清められているし、ポストにチラシも溜まっていない。

 だが、美也は更に見上げてキューの言葉の意味を理解した。

 屋根が、歪んでいる―風で瓦が飛んでしまって、とか、そういうレベルではない。屋根の稜線が周りの景色まで巻き込んで、ぐねり、ぐねりと、絶えずうねっているのだ。そしてその度に、何か黒い光のようなものがチカチカと瞬いている。

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題名:『夜明けは彼女の歌とともに』
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あーたーしーのーいかーりをぉーすーいーあーげーるーヴぃーなああああす!!!!
つづきは追記からァ!!!

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 日なた窓が、でかい図体に似合わずぴょんぴょん軽快に先を行くので、美也も負けじと小さな足で、懸命に走って追いかけていく。

 降り出したばかりだった雨はやはり天気雨の類のようで、空を覆う雲は薄く、光が差しているところもある。台風の接近に伴う強風は天空にも吹き荒れていて、雲が押され千切れるように流れているが、それも一様に静止していた。

 無数の雨粒が中空に縫いとめられ、宝玉のような光を四方に照り返している。きらきらと、頭上にあるその光の粒を見上げながら、美也はテレビで見た海底生物のドキュメンタリーを思い出していた。海の底から見上げた空は、太陽の光が一層うつくしくちりばめられて、こんなふうだった。

 通りを気ままに駆けていく美也と日なた窓は、止まったままになっている多くの人々とすれ違った。そのほとんどが、開店の準備と台風の備えに追われている。

 小東さんの駄菓子屋の軒先で、北村さんがベニヤ板を打ち付けていた。豆腐屋の角井さん夫婦も、『今日は早じまいです』という張り紙を店頭につけている。壱之助理事長が注意喚起のためか、店から店に移ろうとしているのを見かけて、美也は足を止めた。
台風接近の一日、というのがありありと窺える情景だった。だがそれもすべて、今はぴたりと止まっている。

 あらゆる流動は禁じられ、あまねく言葉も失われている。ただ、美也と日なた窓をのみ除いて―

 全く奇怪な状況だが、しかし美也にはこれが初めてではなかった。
 そう頻繁に起こることではない。一年に一度か二度、ある程度だ。初めてこの現象と遭遇した時、美也はなお幼かった。そしてただ、ひとりきりだった。少しすると世界は動き出すのだが、美也がした体験を、誰も知りはしない―聡い彼女は、だから口外することはなかった。それは、彼女を覆い尽くす途方もない寂しさをより強めただけだった。

 でも今は、あの時とは違う。


「ミヤ、こっちこっち」


 日なた窓が呼ぶので、美也はまた駆け出した。
 

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プロフィール

世津路章

Author:世津路章
一次創作小説を書いています。

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◆リンクについて
当ブログはリンクフリーです。ただし、アダルト・宗教系サイトは除きます。
◆作品
当ブログ及び小説家になろうにて、『ミス・アンダーソンの安穏なる日々』『八奈結び商店街を歩いてみれば』を連載しました。前者はおねショタ小説で、2017年7月に電撃文庫より刊行されました(無敵の女傭兵ミス・アンダーソンを抹殺すべく派遣された羊ショタ執事悪魔(レベル1)のどたばたコメディ)。後者は大阪のどっかにある商店街が舞台のなにわ人情お約束劇です。

アイコンは岡亭みゆ様にご制作頂きました。

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