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 珍しく、夏の青空が曇天の向こうに引きこもってしまった。

 クリーニング屋の下川さんは軒先に出て、どうしようかと思案しながら空を仰いだ。雲はまだ薄く、朝の八奈結びをほの明るい光が照らしているが、西のほうが暗くなっているのが見える。台風が近づいているのだ。先ほど見た予報では、この辺りを台風が通過するのは今日の夕方ごろ。だが、まだ太平洋側に逸れる可能性もあるらしい。とはいえ風は既に強く、まだ上げていないシャッターをしきりに叩いて不吉な音を鳴らした。


(どないしょうかいな…風よけのベニヤなんかつけるのも億劫やし…)


 御年六十五歳、まだまだ現役で通している下川さんだが、さすがに最近は体力に衰えを感じていた。来るかもわからない台風に備えて多大な労力を払うのは、出来れば避けたいところだ。 

 そう逡巡している間に、向かいの店のシャッターが、ガララッと、威勢よく開かれた。

 上山呉服店店主・上川さんがベニヤを手にしながら出てきて、にやりと不敵に笑ってみせた。


「おうおう、やっぱりトンマやのぉ、台風が接近しとるっちゅうんにそないのうのうと」
「ふん、急いては事をし損じる、ちゅうやっちゃ。台風が来るかもわからんっちゅうのに」
「はっ、そういって去年看板丸ごと持ってかれて泣きべそかいとったんはどこの誰や?」
「それを言うならなんや、店のガラスを植木鉢にぶち破られてカミさんの雷受けたんはどいつやねん。…あ、そーいうわけか、早速雷落とされて、こない早くから大工仕事っちゅうわけか。はっは、こりゃ傑作や」


 同い年で幼馴染の二人は、昔からのライバルだった。顔をあわせれば何かといがみ合い、罵り合い、最終的には怒鳴り合う。店が向かい合っていたのが最大の悲劇だが、片方が旅行かなんかでいないともう片方がしょんぼりしているので案外満更でもないのか、という噂が八奈結びには流れている。が、それはさておき。

 早くも上山さんのボルテージは、全く年甲斐なく最高潮に達していた。要するに、下川さんの揶揄が図星だったのだ。息を大きく吸い込んで、ご近所迷惑この上ないオヤジの怒鳴り声を発さんとした、まさにそのとき、


「メ! やで」


 と、幼い声が割って入った。

 キョトンとして、ふたりはきょろきょろあたりを見回した。が、声の主は見当たらない。


「『ケンカ、ダメ、ぜったい』、やで」


 同じ声がまたして、ようやく二人は思い至り、視線を下に向ける。

 果たして、そこには美也(みや)がいた。

 朝のラジオ体操の帰りなのだろう、首から出欠のカードをぶら下げている。白いワンピースと麦わら帽子がいかにも夏らしい装いだったが、肌は白く、汗の浮かんだ形跡もない。前髪の切り揃えられた黒いおかっぱ髪も、この湿気にも関わらずさらりと涼やかだった。

 じ、と、アーモンド型の黒い両眼が、下川さんと上山さんを見つめている。この目で見られると二人とも―そして八奈結び中のお年寄りの大半が―たじたじになってしまうのだった。


「い、いや、別にケンカしてたわけやないで?」
「……」
「そうそう、こんなん挨拶っちゅうか…」
「……」


 しどろもどろと言い訳するじいちゃんズを、美也はずっと見つめ続ける。
 幼く、不純な意図をなんら含まないその眼差しに、二人はこれ以上言い合いを続ける気力をすっかり抜かれてしまった。しかめていた顔を情けなく緩ませて、下川さんと上山さんはそれぞれ美也の頭を撫でた。


「ほんま、みっちゃんには敵わんなぁ」


 上山さんはそう言って、ベニヤ板を打ち付けるべく店の他のシャッターも上げ始めた。下川さんも、彼女に手を振ると大工道具を取りに店の中に入っていった。

 美也はそして、歩き出す。

 その傍らを強い風が吹き、麦わら帽をさらって行こうとするので、つばを両手で掴んだ。そのときにも大して表情に揺らぎはなく、そう、まるで、無表情なのだった。

 まるでお人形さんみたいやなぁ―商店街の人々によくそう評される少女は、ふと空を仰いだ。

 暗雲はまだ、遠くでぼんやりと渦巻いている。


   ◇◆◇


 久保田古書店、と軒先に書かれたその店のガラス戸を、カラカラと横に引いて美也は中に入った。

 途端に、病的な冷気が肌を伝う。冷蔵庫とも揶揄される久保田古書店の空調は、冷やかしに入った悪ガキどもを見事十分で撃退する。汗をかいた小さな体は、あっという間に冷え切ってしまうのだ。
が、美也はそんな寒さをものともせず奥に進んでいく。そう広くはない店内に所狭しと並べられた本棚には目もくれず、まっすぐ歩く。

 その小さな足音に気付いて、カウンターで何やら作業をしていた人物が顔を向けた。


「おかえり」


 千十世(ちとせ)である。


 平素他人に見せる意地の悪さは見当たらず、薄く、曖昧な微笑みを口の端に浮かべ、右手を差し出す。美也は帽子を脱いでからラジオ体操の出欠カードを首から外し、兄に渡した。彼はそれをレジの端に置くと、釣銭の確認作業を再開した。

 ここ、久保田古書店は、商店街組合理事長・久保田壱之助の店だ。中学卒業後進学の意志を見せなかった千十世を、壱之助がほぼ強制的に就業させたのだった。当初は店番と蔵書整理程度の仕事しかできなかったが、一年たった今、取引先とのやり取りも大分任されるようになってきた。次から次に実務を投げつけてくる上に、理事会の仕事などで店を空けることの多い壱之助を皮肉って、最近は〝店主代理〟を名乗る千十世である。

 美也はそんな兄のいつもの仕事風景を確認してから、再度麦わら帽子をかぶり直した。そしてそっと背を向ける―


「今日は中にいなさい」


 と、その声でぴたりと足が止まった。

 美也が肩越しに見上げると、千十世は札束を数える手を止めて彼女を見つめていた。細めた双眸は錐のように鋭い。


「台風が来るんだから。ここで大人しくしていなさい」
「でも」美也は向きなおって言う。「こぉへんかもしれんて言(ゆ)うてた」

 千十世は薄い笑みを微動だにさせず、


「それなら、それがわかってからにしなさい」


 ぴしゃりと言い切った。

 美也は俯いて、しばらく立ち尽くしていたが、やがてこくんと頷いた。千十世はそれを見届けてから、札束を数え直した。

 するとすぐ外で、ざあ、と、雨音の走るのが聞こえた。

 美也が視線をやると、ガラス戸越しにも見えるような大粒の雨が降り出していた。周囲が暗くなっていないのですぐ止むようには思われたものの、台風の前触れと言わんばかりの猛威だ。


「ほら、ね?」


 千十世は手元の札束をピンと弾いて、レジの中に仕舞い込む。そのまま外の様子などには目もくれず、帳簿にチェックした金額を書きこんでいる。


「どのみち、今日は和希(かずき)も隣町で試合だって言ってたからいないよ。わかったら早く帽子を置いて―っと」


 ボールペンをカウンターの端にあるペン立てに戻そうとして、無精して離れたところから軽く投げた。が、すっぽ抜けた。ペンはカウンターを越え、美也の方へとゆるやかに飛んでくる。それを千十世の手が伸びて掴もうとする―

 その動作が、静止した。

 彼が自らの意志で、止めたのではなかった。驚いて僅かに見開かれた瞳も、微かに揺れた髪も、薄く開かれた唇も、ぴたりと止まっている―そしてそれは千十世に限ったことではないのだった。放り出されたボールペンも、そのまま、宙に固定されてしまっている。まるで写真の中であるような光景だった。

 この不思議にしかし、美也はまるで動じず、再びガラス戸の向こうを見た。

 線となって降り注いでいた雨垂れは今、その落下を封じられ、点として中空に留まっている。さきほどまで聞こえていたあの雨音も、ぴたりと止んでいた。

 そこに、からら、と誰かが店の戸を開ける音。


「なにしてるん、はよ行くで」


 その誰かは、店の中の美也にそう話しかけてきた。

 美也は一度振り返り、届かないものに手を伸ばしたままの兄を見上げた。

 躊躇いの念が、幼い瞳に過る―しかし、彼女は、


「おにいちゃん、いってきます」


 ぺこりと頭を下げ、迎えに来た友達のもとへ、ぱたぱたと駆けていった。
 こうして美也は、友達―八奈結びを根城にする野良の黒猫・日なた窓と、止まってしまった世界へと、いつものように遊びに出かけた。


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おねショタ ファンタジー オリジナル 創作小説
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Author:世津路章
一次創作小説を書いています。

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◆リンクについて
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◆作品
当ブログ及び小説家になろうにて、『ミス・アンダーソンの安穏なる日々』『八奈結び商店街を歩いてみれば』を連載しました。前者はおねショタ小説で、2017年7月に電撃文庫より刊行されました(無敵の女傭兵ミス・アンダーソンを抹殺すべく派遣された羊ショタ執事悪魔(レベル1)のどたばたコメディ)。後者は大阪のどっかにある商店街が舞台のなにわ人情お約束劇です。

アイコンは岡亭みゆ様にご制作頂きました。

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