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 止まった世界の中、美也とキュー、日なた窓はどんどん進んでいく。

 長い間立ち入ることを禁止されていた区域は、やはりどこか鬱屈とした空気を漂わせていた。何もかもが止まってしまって、彼女らが歩いていく以外に衣擦れの音もしないのであるが、ここに限ってはもうずっと大分前から、そんな状態になっているような感じがした。夏だというのに、どこかうすら寒くて―美也は剥き出しの二の腕を、そっとさする。

〝売却〟と看板の掛けられた平屋、ポストの口からチラシを溢れださせているアパート、ゴミが溢れて家垣から覗いてしまっている古屋敷、錆びついたブランコがあるばかりの小さな公園―時の流れに乗る気力もなく、朽ちていくに任せているような光景。

 美也はアーモンド形の双眸をしきりに瞬きながら、それを眺めていた。肌を、チリ、と焼くような拒絶を感じる。だが同時に―何か神経がこの空気感に馴染んで、不思議な安らぎを抱き始めてもいる。それがどういうことなのか、幼い彼女にはまるで判断がつかず、足を進めながら視線を彷徨わせるしかなかった。

 キューの目的地は、商店街から出てさほど遠くではなかった。工具箱から鳴る音色が止まったのでハッとして美也が顔を上げると、キューはあからさまに面倒くさそうな顔をして、溜め息を吐いた。


「ああ、これは大分でかいね」


 美也がその視線の先を辿ると、そこには一軒の民家があった。先ほどまで見てきたような朽ちかけの家々よりは随分とマシで、門前はきれいに掃き清められているし、ポストにチラシも溜まっていない。

 だが、美也は更に見上げてキューの言葉の意味を理解した。

 屋根が、歪んでいる―風で瓦が飛んでしまって、とか、そういうレベルではない。屋根の稜線が周りの景色まで巻き込んで、ぐねり、ぐねりと、絶えずうねっているのだ。そしてその度に、何か黒い光のようなものがチカチカと瞬いている。

 目を刺すようなその瞬きは、屋根の歪みに伴って、少しずつ増えていく。


「こりゃ急がなヤバいんちゃうのん」


 日なた窓が総毛だてて言った。

 キューは言わずもがな、と足を進め、民家の中に入っていった。その手に触れられることなく玄関の引き戸は開き、彼を受け入れる。日なた窓もそれに続いた。美也も、こくりと喉を鳴らし、心を落ち着けてから追いかける。

 家の中はやはりきちんと整えられていて、住む人の配慮がうかがえた。スリッパが端に寄せられた玄関はすっかり片付いていて、靴箱の上の造花には埃も溜まっていない。木造の廊下もよく磨きこまれ、飴色の光沢を放っている。

 ただ、それがどこか―行き届きすぎている、そんなふうにも感じられた。それがなぜなのか、美也にはぼんやりわかっている。

 いつでも客を迎えられるように―そんな切実な願いが、随所に滲み出ているのだ。

 小さな家だったので、すぐ居間についた。そこではすでにキューが、工具箱を下ろして仕事道具を取り出している。日なた窓はその様子に目もくれず、ちゃぶ台の傍らで、じぃ、っと何かを眺めていた。

 座椅子に腰かけ手元の写真を眺める、老婦人だ。間違いなく、この家の主だろう。

 追いついた美也は日なた窓の隣に座って、彼女のことをじっと見た。商店街を和希とともに遊び場にし、多くのお年寄りに可愛がられる美也だが、この老婦人の顔は見たことがないような気がした。ふっと視線を逸らすと、発泡スチロールの箱を見つける。テレビでよく見かける食材配達サービスのロゴが、側面に印刷されていた。

 老婦人はこの世界の中で、やはり静止している。だから何もかもがそのまま、ありありと美也の目に映った。痩せた細い腕も、写真にぐっと力を込める指も、押し潰されたように丸まった背も、噛みしめられた唇も、涙をこぼれるのを我慢しようと細められた眦も―

 美也は、思わず手を伸ばした。
 老婦人の頭を、撫でたくなった。

 だがそれは、


「無駄だよ」


 キューのぴしゃりとした声で、遮られた。

 美也が目を向けると、彼は右手に虹色の光沢をもつスパナのようなものを手にして立っていた。金と銀の異なる色をもつその双眸が、憐れむようで蔑むようで、―自分に言い聞かせるような、そんな感情を交錯させた光を、美也に投げかけてくる。


「君だってわかっているだろう? ここでそんなことをしても、なんにもならない。それは君の心を慰めるだけ…ただの欺瞞だ」
「そんな言い方ないやろ」


 ぶみゃフー! と、日なた窓が抗議の声を上げる。
 そのままキューの足もとまで寄っていき、バシバシと尻尾で攻撃した。


「いっつも空間の歪みだけ直してホナサイナラーの、血も涙もないヤツが、どの面下げて言うてんねん」
「それが僕の〝仕事〟だ」


 キューは構いもせず、背を向けて手を伸ばした。


「本当はこの歪みを修復するのだって、気が進まない―それを含めて、世界のあり方なんだから」


 キューは腕を上げ、何もない中空をスパナで二回、叩いて見せる。

 すると、先ほど外で見かけたあの黒い瞬きが、無数の塊になって、天井一面を覆った。どうやらそれはもう長いことそこに蓄積されていたようで、何か爆発しそうなほどのエネルギーに溢れている。

 これまでにも何度かキューの〝仕事〟を見学に来たことがある美也だが、これほどのものを見るのは初めてで、思わず息を呑んだ。だがキューは特段驚いたふうもなく、空いている左手で、蠢く黒い瞬きを、そっと撫でた。


「でも、酷いものは応急処置をしておかないと、歪みからひび割れて、外から変なものが入ってくる…そうなったら、台無しだ。だから最低限、必要なメンテはする…それだけ」


 キューは、左手を歪みから離して、虚空で軽く振った。
 すると工具箱の中から何かが舞い上がる。

 色とりどりの、花びらだ。

 キューが人差し指で、つい、と指揮してやると、花びらは淡い光を辺りにふりまきながら、風にでも吹かれたように飛んで行く。
歪みに寄り添うように、覆っていく―

 花びらは形も様々で、色はてんでばらばらだ。なのにどこか、同じひとつのものから生まれたもののように、美也には思えるのだった。

 明るい桃色の小さな花びらも、くすんだ藍色の細い花びらも、黄色だったり、白かったり、黒いものもあったり、ぎざぎざしていたり、やたら大きかったり、中には穴が開いていたりするものもあるけれど―だけど、みんな、同じ光をまとっている。
かすかだけど、でも、あかるく輝いて、〝確かにわたしはここにある〟と見る者に語りかけてくる。そんな力強さを持っている。

 これは〝明日にさく花〟だと、いつかキューは言っていた。

 美也は、花びらに覆われた歪みにそっとスパナをあて、〝修復〟しているキューの横顔をじっと見上げていた。ぶっきらぼうな物言いをする彼だが、〝仕事〟をしているときの表情はどこまでも真摯だった。最低限必要なことをするだけだ、なんてこともなげに言っていたけど、だからって彼が手を抜くところなんて、美也は一度も見たことがなかった。

 キューは見えないボルトを締めるような手つきで、花びらと歪みを固定していく。それは傍目で見ている以上に、困難を伴う作業なのだろう。少しすると、そのこめかみから汗が一筋垂れて、首筋まで伝った。でもキューの眼差しは逸らされることなく、まっすぐ歪みを見据えている。

 その真剣さは、美也の脳裏にある光景を思い出させる。

 それは店のカウンターの中、お客さんに頼まれた注文をひとつひとつ丁寧にこなそうと誠心誠意うどんを作る、繁雄(しげお)の横顔だった。

 姿形はどこも似ていないのに、キューと繁雄はよく似ていた。だから美也は、どこからきて、どこへ行くかもわからないキューのことを、信頼できるのだった。

 彼はこの歪みを、きちんと直してくれる―


「そう、僕にできるのはここまで」


 最後にキュッと締める動作をして、キューはそう言った。

 スパナを持つ手を下ろし、額に流れる汗を左手の甲で拭う。そして、彼はひとつ、ふーっと長い溜め息を吐いた。

 歪みは―あれだけ濃縮された黒々とした光は、やわらかな花びらの輝きに癒され、内包していた唸りを潜めさせていた。そして淡雪がふっと融けて消えるように、なくなった。美也が二三度、目を瞬いてもう一度見ると、そこには元から何もないような、ありふれた家の天井が戻っていた。

 ほう、と彼女の口から感嘆の吐息が漏れる。カラン、と音がしたのでその方向を見遣ると、キューがしゃがんで工具箱の中にスパナをしまっていた。

 彼は工具箱を手にし、立ち上がろうとしたが、そのまま上体だけ反らして美也を見つめた。


「美也、君の望む〝かみさま〟はいない」


 金と銀の双眸に、冷たく、どこか悲しげなあの光を宿して、キューはまっすぐに告げる。


「少なくともこの世界には、もういない―致命的な歪みがあれば、僕はこれからもそれを〝修理〟する。だけど、それだけだ。それが僕の約束だから」
「約束…?」


 キューがその言葉に込めた特別な想いを、美也は感じ取っていた。

 それは彼にとって、あまりにも大切で―それこそが彼の存在理由そのものであるほどの、かけがえのないものなのだろう。
だから、誰との、とは、聞けなかった。

 それは容易く、触れてはいけないもののはずだ。

 その幼い彼女の真心を感じたのだろう。キューは少しばかり微笑んで、右手を伸ばす。

 人知れず、世界の歪みを直し続けるその手で、美也の頭をやさしく撫でる。


「そう。君たちの―他の誰にも依らない、君たち自身のなすこと、その結末を、最後まで見届ける―それが僕の約束。僕の〝仕事〟は、ただそのためだけにある。だから〝かみさま〟に、望まないで。君自身の心に望むんだ」
「うちの…」
「そう、今の君にはまだ幼くて、難しいだろう―でも」


 キューは手を下ろすと、立ち上がった。


「君が望むなら、君はどこにでも行ける。僕はそれを、いつまでも見ている」



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世津路章

Author:世津路章
一次創作小説を書いています。

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◆リンクについて
当ブログはリンクフリーです。ただし、アダルト・宗教系サイトは除きます。
◆作品
当ブログ及び小説家になろうにて、『ミス・アンダーソンの安穏なる日々』『八奈結び商店街を歩いてみれば』を連載しました。前者はおねショタ小説で、2017年7月に電撃文庫より刊行されました(無敵の女傭兵ミス・アンダーソンを抹殺すべく派遣された羊ショタ執事悪魔(レベル1)のどたばたコメディ)。後者は大阪のどっかにある商店街が舞台のなにわ人情お約束劇です。

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