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 ガランガラン! とけたたましくビューテ・アキの扉を開けて、和希は中に突入した。


「やっかましいわ、もっと静かに入ってこられんか」


 とは、奥のソファでおせんべいを齧りながら雑誌を読んでいた店主・アキさんの言だが、大して怒ってはいない。なんとなく、こうなる予感はしていた、そんな感じである。

 和希はこれに答えもせず、ずんずん奥に進んでいく。ソファには他にタマばあと、その隣にもうひとり別のおばあちゃんが座っていた。このところよくうどん屋にも食べに来てくれる、宮前さんだ。


「あ、あのな、タマばあ、その…」


 意を決して来たものの、さっき飛び出て行った手前もあり、和希は口ごもってしまった。そんな少女をほほえましく見ながら、タマばあは宮前さんに頷いて見せた。宮前さんも柔らかく微笑んで、テーブルの端に置いてあった小さな包みを手に取る。そして立って和希の前まで行くと、手にしたものを差し出した。


「これ、取りに来たんやろ和希ちゃん」
「えっ? でもこれ…」


 思わず受け取ってしまったが、丁寧に包装された包みに見覚えはなく、和希はうろたえた。シンプルだが上品なデザインで、小さなリボンが片隅にデコレーションされている。宮前さんは穏やかに言う。


「中身は確かに、和希ちゃんのものや。勝手にラッピングしてごめんな…でも私もちょっとだけ、お手伝いしたかったんや」
「宮前さん…」
「うどん屋さんに行くと、いっつも繁雄くんがおいしいうどんを出してくれて、和希ちゃんが賑やかにしてくれる。それが、ごっつ嬉しいんや」


 宮前さんの言葉は、ひとつひとつ、じんわりと和希の心にしみていく。宮前さんはひとりで暮らしているのだと、前に美也が話してくれたことがあった。それを思い出して一層、和希は彼女の気持ちを強く感じ取った。包みを持つ手に、ぐっと力が入る。


「宮前さん、おおきに…! アキさん、タマばあも、あんがとな!」


 精一杯の笑顔で言って、和希はまた走り、店を後にする。

 八奈結び商店街の通りは、夕方の買い物客で大いににぎわっていた。八百屋さんや魚屋さんで、威勢のいい掛け声が聞こえてくる。夕飯の買い物にあまり関係ないような商店のおじいちゃんやおばあちゃんも、軒先で椅子に腰かけその光景を見守っている。

 和希はその通りを、精一杯の速度で駆けていく。人にぶつからないように注意を払い、身をよじり、左右によけながら、それでも家路を走り抜ける。

 それに気づいた人々が、その背中に声を掛ける。


「おーい、かっちゃん! こけんなや!」と、クリーニング屋の下田さん。
「アホたれ、ゆっくり歩いて行かんかい!」と、ふすま屋の西川さん。
「ちゃんと前だけは見とけよー」と、呉服店の上山さん。
「相変わらず元気やのぉ」「気ィつけえや」と、買い物に来ていた駄菓子屋の小東さんご夫妻。


 他にも顔見知りの商店街の人々が、怒ったり、溜め息まじりだったり、笑ったり、各々の表情で、走って行く和希に声を掛けた。ぶみゃフー! と、日なた窓の鳴く声も聞こえた。ごめんな、ごめんな、と上がる息の切れ間でお詫びをいれながら、だけど彼女は足を止めることができない。


(はよ、はよ帰って、これを…!)


 手にした包みをしっかり握って、和希はうどん屋のある通りへと、角を右に曲がった。


「わっ!」


 と、出会いがしらに衝突する。曲がるために減速していたのが不幸中の幸いだったが、それでも勢いよくぶつかった和希はそのまま弾かれ尻餅をついた。


「あいたた…す、すんません…! …あれ?」


 謝るために立ち上がろうとするも、両手が空なことに気付いて和希は慌てて辺りを見回した。その肩を、誰かが叩く。


「これか、かっちゃん?」


 優しい声でそう言ったのは、たった今和希にぶつかられた被害者―北村さんだった。
 北村さんの差し出す包みを、しっかり受け取って、ぶんぶんと頷いた。


「おおきに、北村さん! あ、あの、平気? ケガとかしてへん?」
「うん、大したことあらへん」人のいいので定評がある北村さんは笑ったが、「でも、気をつけなあかんで。僕やったからよかったけど、おばあちゃんなんかやったらえらいことや」


 そこでやっと、急いていた和希の気も静まって、しゅんと項垂れる。


「うん、気ぃつける」
「よっしゃ、それでええ」


 北村さんはにこり、と柔和な顔して見せると、そう言えばと口にする。


「帰るところやったんかな? はよ行き、面白いもんが待ってるで」
「おもしろいもん?」


 目をぱちくりさせる和希に、それ以上何も言わず北村さんは手を振って、その場を後にした。その後ろ姿にもう一度頭を下げて礼をし、和希も走り出す―も、ハッと気づいて競歩に切りかえた。

 そしてとうとう、家の―うどん屋の前まで帰りつく。

 ガラス戸に伸ばした、その手がピタリと止まった。緊張や恥ずかしさがないまぜになって、頭の中で渦巻く。だが折角こうして、宮前さんがラッピングまでしてくれたのだ。それを無下にすることは―と、逡巡する和希の耳に、


「ち、ちぃくん! あかん、それは!!」
「いや、この際だからシゲにも見といてもらおうよ」
「おい、どうでもええけど店で暴れんといてくれ!」


 と、笑い声・呆れ声交じりのドタバタが聞こえてきた。へ、と脱力して、和希はカラカラと戸を開ける。


「おお、お帰り」


 カウンターの中で、繁雄がいつものようにそう言った。
 あまりにも揺るぎなく、当然のこととして迎えてくれた。

 そのことが今日はなんだかやけにすごいことに感じて、和希はたじろいてしまう。もごもごと「ただいま」となんとか口にして店内に視線を逸らして、


「…ナズナもチトセもなにやってるん?」


 店の客席で二人がじゃれ合っていた。と、最初は見えたのだが、どうやら千十世(ちとせ)が手にしている写真を、なずながなんとかして奪取しようとしている、そういう場面らしい。線は細いが縦には長い千十世は、思い切り手を上に伸ばして絶対なずなに取れない位置で写真をピラピラさせている。半分泣きかけのなずなは顔を赤くして、ぴょんぴょん飛び跳ねながらそれに手を伸ばすが、


「あ」


 と、着地に失敗してその場で後ろにズッコケた。
 ビッターン! といい音が、そして次いで繁雄の盛大なため息が店内に響いた。


「なずねぇ、だいじょうぶ?」


 そう言って彼女に寄り添ったのは、カウンター席に座っていた美也だ。よれよれと上体を起こしながら、ずれた眼鏡も直さずなずなは差し出された小さな手をぎゅっと握った。


「うっうっ、みっちゃん…うちはもうだめや…あの写真バラまかれたらおわりや…」
「おにいちゃん、メっ!」


 やや強い口調で妹にたしなめられた千十世は、ペコちゃん人形よろしく舌を出して、シャツの胸ポケットに件の写真を仕舞う。
 その一連のドタバタを、ぽかんと和希は入口で眺めていた。

 ああ、すごく、いつもどおりだ。
 いつもどおりのことが、今日もまた、起きてくれたんだ。

 普段なら見過ごしてしまうようなことが、今の和希にはこの上なくありがたいことに思えた。それは胸の芯から、じん、と全身に広がるあたたかさだった。

 そうして動けないでいる彼女に首を傾げながら、繁雄は言う。


「何してんねん、はよ入れや」
「え? あ、うん」


 カラカラと戸を閉めて、和希も中に入った。そこでようやく、カウンターの上に広がるそれに気づいた。


「これは…写真?」
「そ」と、カウンター席に座った千十世が返す。「この夏に撮った分。大分溜まったから現像してきたんだ」


 さっきまで北村さんもいたんだよ、そう付け加えながら、彼は手際よく散らばった写真をまとめ、和希に差し出した。彼女は立ったまま、それを眺めた。

 この夏の、様々な場面がその中には収められていた。

 公園のベンチでお菓子を食べながら、日なた窓と一緒にゲートボールを見学する美也。
 よそ行きの服を着てバッチリ決めているのに、毎度のようにズッコケているなずな。
 いつも以上に目を鋭く光らせ通りを歩いている繁雄は、万引き騒ぎのパトロールの時だろう。
 八奈結び小学校の体育館で、レイアップ・シュートを披露する和希を納めたものもある。

 なかでも一番多いのは、夏祭りの光景だ。


「うわ、これすごいな…!」


 思わず、和希の顔もほころんだ。

 太鼓を一心不乱に叩く和希と美也の様子が、何枚も撮られている。腕を振るっている真っ最中で躍動感たっぷりな瞬間もあれば、曲の要所でぴたりと止まりポーズを決めているショットもある。アングルや光の当たり方も絶妙で、当日のあの熱気が画面から伝わってくるようだ。見ているうちに和希にも、あの日、舞台の上で感じた熱量が、そっくりそのまま身体中に蘇るようだった。

 やがてちびっこ和太鼓隊の活躍を納めた写真も終わり、出店の光景や、見慣れた人々の笑顔を写したものに切り替わった。酔っぱらってゆでたこのようになりながら、ドジョウ踊りをしている壱之助。それを脇にどかそうとする奥さんの咲絵さんと北村さん。金魚すくいに興じる角井ご夫妻、その隣で囃し立てるアキさん。タマばあが子どもたちと、水風船で遊んでる。

 なずなは綿あめを髪に絡ませて慌て、またすっ転びそうになっているのは、次の写真で繁雄が助けていた。

 当日はゆっくり見て回る時間がなく、なによりはしゃいでいたものだから、こうして改めて眺めるのが和希にはとても面白く思えた。なので写真を次から次に繰っていたが、その手がピタリと止まる。


「ああ、それが最後の一枚だね」


 千十世が言った。

 和希の手の中、一番上に来ているその写真は、もう夏祭りの光景を納めたものでなく、別の日、別の時間のものだった。

 夕日で、辺り一面照らされた光景。真ん中に写る二人の人影は、画面に背を向けている―一方が、一方を背負っている。

 変質者騒動があったあの日―和希をおぶって帰る、繁雄の姿だった。

 それは光源の関係で、やや逆光気味になっている。まして、後ろからのショットなのでどんな顔をしているかもわからない。
 だけど自分を背に乗せた兄のその姿は、この世の何より、力強い。

 和希は―こみ上げてくるもので溢れ出しそうな目尻をぐっと抑え、ふるふると頭を振った。そして写真をそっとカウンターに置くと、手にした包みを両手で抱えた。

 胸がひとつ大きく鳴る。いやな怖気が背筋に走る。

 でも、今ならきちんと言える。


「アニキ、あんな」
「? どうした」


 きょとんと、繁雄は和希を見遣った。いつものようにカウンターの中、しっかりと自分の足で立っているこの兄に、和希は両腕を伸ばし、手の中のものを差し出した。事情を呑み込めない彼がとりあえず受け取ったのを見届けてから、彼女はごくりと喉を鳴らし、思いっきり頭を下げた。


「あのときは、ごめん! ウチ、アホやった!!」


 そう、それだけははっきりと言わなければいけなかった。

 兄のくれた―そして今も与え続けてくれているものに対して、和希はどうしたら報えるのか、まだ全然わからない。だけど、それでも、それをないがしろにした自分をそのままにしておいていいはずはない。

 それを今まで、繁雄の優しさに甘えて見て見ぬふりを続けていた―和希はこのとき、自分の浅はかさを死ぬほど恥ずかしく感じていた。下げた頭を上げるのが、この上なく怖かった―どんな顔をして、兄は自分を見ているだろう。

 少しの間、店の中には沈黙が漂った。しかし、やがて、カサカサ…、と微かに紙の擦れる音がした。そこでようやく和希は、恐る恐る顔をあげる。

 繁雄は、驚いたように手の中を見つめる。


「おまえ、これ…この手拭い、どないしてん」


 包装を解いて現われた刺繍つきの黒い手拭いを、しきりに双眸を瞬いて、繁雄は眺める。和希はおずおずと、答を口にする。


「作った。タマばあに手伝ってもうたけど…」
「せやけど、この生地、めっちゃええやつちゃうんか?」
「ちゃんと買うたで?!」慌てて和希は弁明する。「上川さんとこの呉服屋で、端切れ売ってんやん! タマばあに、一緒に選んでもらったんや!」


 そこまで聞いてようやく安心したのか、繁雄は包装紙をそっとカウンターテーブルに置くと、改めて手拭いをまじまじと見た。横に伸びた二本の波線、その片方の先に〝S〟と刺繍されている。


「シゲちゃん、それ、頭に巻いてみたら」


 柔らかく、そう言ったのは、起き上がったなずなだった。和希が見やると、他の三人は微笑んで兄妹を見つめていた―驚いたことに、あの人の悪い千十世まで。

 繁雄は鼻をひとつ、スン、と鳴らした。返事をする代わりに今つけていた手拭いを乱雑にとって、前掛けに挟む。
 そして黒の真新しい手拭いを広げると、どこかぎこちない手つきで頭に巻いた。

 きゅっ、と最後に一際強く結んで、腕を下ろす。

 和希は思わず、口を開いた。慣れない針仕事をしながら、何度も思い描いていた―これを身に着けてくれた兄を。

 今目の前に実際にいるその姿は、その想像の何倍も輝いていて、


「…おおきにな、和希」


 なんとかやっと照れを抑えてそう言って、右手を伸ばし、彼女の頭を撫でてくれた。

 なずながもらい泣きしながらそれを見ている。
 美也は小さな手のひらで、ぱちぱちと拍手する。
 いつの間にかカメラを構えた千十世がパシャリと一枚写真を撮って、


「やめんかい恥ずかしい!」


 と繁雄の怒号が飛ぶ。

 そのあたりまえのいつもどおりが嬉しくて、和希が大声で笑う。




 こうして長い八奈結びの夏が、なんやかんやで終わりゆく。



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プロフィール

世津路章

Author:世津路章
一次創作小説を書いています。

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当ブログはリンクフリーです。ただし、アダルト・宗教系サイトは除きます。
◆作品
当ブログ及び小説家になろうにて、『ミス・アンダーソンの安穏なる日々』『八奈結び商店街を歩いてみれば』を連載しました。前者はおねショタ小説で、現在公開休止中です(無敵の女傭兵ミス・アンダーソンを抹殺すべく派遣された羊ショタ執事悪魔(レベル1)のどたばたコメディ)。後者は大阪のどっかにある商店街が舞台のなにわ人情お約束劇です。

アイコンは岡亭みゆ様にご制作頂きました。

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