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 自分に頭を下げた時の繁雄の目に赤みがあったのを、北村さんは見抜いていた。

 繁雄と和希には、両親がいない。

 父親も母親も、繁雄が中学に上がって間もない頃不慮の事故で他界した。商店街組合の組長である老夫婦が、遠方の親戚に代わって面倒を見ていたのだが、義務教育の終了を契機に繁雄が親の店を継ぐ決心をした。今は妹の和希と二人で暮らしている。

 両親が遺してくれた僅かな蓄えがある間に、なんとか店で生計を立てられるようになりたい――そういう考えで、繁雄が必死に努力を重ねる姿を、北村さんはよく知っていた。そして、自分にもまだ大人の支えが必要であるのに、親代わりとして和希に接しなければいけない、という辛い立場にあることも。

 …だからといって、自分に出来ることなど何もない。せいぜいうどんを食べに来て、店番するのが関の山。

 北村さんはもう一つ溜め息を吐いた。このお人よしが自分以外の者のために吐いた溜め息は誰の耳に届くこともなく消えた。


 刻は既に十六時を過ぎ、八奈結び商店街も夕日に浸される。
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「アホ…ドアホっ! シゲオのっアホっ! タコっ! すっとこどっこい! 何がっ! うちのメシ! もう食わせんじゃ! …要らんわっ! あっ! のっ! アホアニキーーーーーー!」


 そう一しきり吠え終ると同時に、和希はブランコから勢いよく飛び降りた。

 ザザッ、と砂とその靴が擦れ合って着地すると、公園が途端に静まり返った。一瞬前まで賑やかだったのは主にわめき散らしていた和希の声と、それに付き合わされて力任せに漕がれるブランコの哀れな金切り音によるものだった。蝉ですら、夕方の涼しさの前に小休止していた。

 商店街の外れにありブランコ以外の大した遊具もないさびれたこの公園には、もともとそう多くの子どもは寄り付かない。商店街の反対側に、もっと大きな広場があるからだ。和希も普段はそちらで体力の限り遊び尽くすのが日課だったが、今日はとてもそんな気がしなかった。

 全力で感情を発散させ肩で息している和希だったが、その背後から、ぱちぱち、と小さな拍手が送られ振り返る。
 先ほどまで和希が漕いでいた隣のブランコに腰かけている、美也だった。

 普段ならその拍手に鼻高々と満足するところだったが、あいにく今の和希はそれを素直に受け取ることができなかった。二つに結わえてある髪を大きく振って、フン、とそっぽを向いてしまう。


「かずねぇ、なんで怒ってるん?」


 いつものようにゆったりとした口調で、美也は訊ねた。その表情は乏しく、微かに体を揺らせてブランコを漕いでいるのでなければ、まるで人形と見間違えるような幼子である。

 自分よりもなお幼い美也の単純な問いに和希は答えようとした。が、発端となったいきさつを振り返るや、折角発散させた苛立ちがまたも募ってきて、思い切り砂を蹴りあげる。


「あのアホのシゲオが悪いんじゃ!」
「しげにぃが悪いん?」
「そや!」
「なんで?」
「なんでもかんでもあかんあかん言いよる。ホンマ腹立つ!」
「なんでもかんでもって、なに?」
「へんなおっちゃんにおっぱいみせることや!」


 ずしゃああ!
 と、公園の外で誰かが盛大にこけた。

 和希と美也が揃って見やると、制服姿の少女が一人、ぶちまけてしまった買い物袋の中身を、ずれた眼鏡を直しながら必死にかき集めている。


「なずねぇや」


 美也がブランコから降りる。


「なんや、ナズナまた何もないとこでコケとんかいな…」


明らかに年上の相手を軽く呼び捨て、和希は大きく手を振った。


「おーい! へぇきかー?」


 無事収拾し終え再び立ち上がった少女、なずなは、気弱に笑って小さく手を振り返した。そのまま公園の中に入っていき、和希と美也へと近寄っていく。彼女たちもまた、なずなの方へと歩み寄っていた。


「なずねぇ、またこけたん?」
「もうな、そんだけこけんやったら新喜劇入った方がえぇと思うで」


 あまり変化のない表情の中にも微かな心配を漂わせる美也に対し、和希の物言いはあまりにもずけずけとしていた。なずなは苦々しく笑う。


「やってな、あまりにもびっくりしてもうたから、つい…」


 そう言って頬を小さく掻く。そして、なずなはひとつ咳ばらいし、腰を折ってひそひそと和希に話しかけた。


「かっちゃん、あんま大きい声であんなことゆうたらあかんで」
「あんなことて?」
「せやから、その……」


 きょとんとして聞き返してくる和希に、なずなは言葉を窮するも、顔を赤らめながらなんとか続ける。


「その、お、おっぱ………」


 そこで気づいたようにハッとしてから、頭をぶるぶるとふるって、


「胸を、みせるとか、そぉゆうことな! ゆうたら、あかんで!」


 無事に言い切りなずなはほっと一息つく。が、対照的に和希は露骨に不機嫌な顔をした。


「なんや。ナズナまでそれかいな」
「? まで、って?」


 なずなはそう問うが、和希は口を尖らせて答えようとはしない。


「しげにぃがな、あかんゆうねんて」


 代わりに美也が説明しようとする。


「悪いねんて」


 それはまるで説明の体を成していなかったが、付き合いの長いなずなにはピンときた。


「かっちゃん、またしげちゃんとケンカした?」
「………」


 あくまで和希は答えようとしない。が、ぷいっと顔を逸らすその様子を見て、なずなは間違いないと悟る。

 やれやれ、というようになずなは微笑んだ。何か大切なものをいつくしむような、そんな笑みだった。毎度の騒動で慣れてしまっているため呆れる様子もない。

 なずなと、繁雄・和希の兄妹、そして千十世・美也の兄妹は、いわゆる幼馴染だった。なずなの祖父母は八奈結び商店街の理事長夫婦で、それぞれの家庭の事情が重なり、五人は長らく同じ屋根の下で暮らしてきたのだった。それも過去のことで今は別々に暮らしている。だが今も、なずなにとっては家族と同じように大切な幼馴染だ。

 こほん、となずなはわざとらしくひとつ咳払いした。


「それにしてもなんや、ここ二三日で急に暑なったなぁ。ジュースでも飲もか」


 なずなはベンチに和希と美也を座らせ、公園を出てすぐのところにある自販機で買った缶ジュースを手渡した。

 何の逡巡もなくプルタブを開けてカルピスを飲む美也に対し、和希はむくれたままで手を付けようとしない。が、なずなも美味しそうに喉を鳴らして飲み始めると、堪らなくなって自分もまたプルタブに指をひっかけた。開けるや否や和希は缶を大きくあおり、一気にその中身を大半流し込んでしまう。


「何があったんかな、かっちゃん」


 なずながそう訊ねる声は優しい。意地を張っていた和希の態度も次第にほぐれ、俯きながらではあるもののポツリポツリと話し始めた。


「先生がな、ゆうててん。最近この辺で黒いコート着たへんなおっちゃんが出るて」
「ああ…あの変質者の…」


 それならなずなの耳にも憶えがあった。小遣いをやるから胸を見せろ、という男の話。実際に声をかけられたのは小学生だということだが、何が起こるかわからないから注意しろ、となずなの高校でも注意喚起されていた。


「そのおっちゃんの話したらな、シゲオが怒鳴ってん」
「かっちゃん、どういうふうにしげちゃんに話したん」
「…おっちゃんにおっぱい見せるゆうた」


 口の中に何も含んでいなかった幸運をなずなは感謝した。含んでいたなら、間違いなく噴き出しただろう。

 それはさておき、なるほど、となずなは心内で頷いた。そして和希に向かって怒鳴りつける繁雄の姿を想像して、一層納得した。そうしてしまう繁雄を理解もできたし、同時にそれだけではいけないことも、彼女はわかっていた。

 なずなは手の中のカルピスをひと口流し込む。冷たい感触が喉を通り、そこから汗ばんだ全身の肌がきゅっと引き締められるような感覚を確かめてから、口を開いた。


「そっかぁ…でもなんでしげちゃんは、そんなふうに怒ったんかなぁ」
「知らん! アホやねんアイツ! 頭悪いんやわ!」
「ちゃうで、かっちゃん」


 普段は温和で弱々しいなずなの声の中に、芯が通る。むくれるばかりだった和希が、それに気づいて顔を上げ、まじまじとなずなを見た。こういう時のなずなは真剣であることを、彼女は知っていた。

 なずなの笑みは柔らかい。


「しげちゃんはな、かっちゃんのこと大切なんやで。かっちゃんのこと想ってつい怒鳴ってしまうくらい、大事なんやで」
「…なんや。結局ナズナもシゲオの味方か」


 また拗ねようとする和希に対し、なずなは静かに頭を振った。


「おっぱ…胸を見せる、ってゆうたらしげちゃんは怒ったんやんな」
「そうや」
「胸を見せるってどういうことか、かっちゃんわかる?」
「…別になんでもないやん、こんなん見せるん」


 和希は自らの胸にある小さい膨らみを、ぺちぺちとぞんざいに叩いた。


「…ちなみにかっちゃん、保健体育の授業、ちゃんと受けた?」
「だるいから寝とる。保健の先生何も言わんからな、ちょろいねん」


 ふふん、と自慢げに胸を張る和希。やっぱりなー、と、なずなは納得した。
 気を取り直し、なずなは続ける。


「かっちゃんは〝こんなん〟ってゆうけど、胸ってな、女の子にとって大事なものなんよ。ううん、胸だけやなくて…女の子にとっては、身体ってゆうんは、とっても大事なものやねん」
「…なんで?」


 和希は眉の根を大きく寄せた。率直すぎる和希の問い対して、明確に答えられるほどの知識や理論がなずなの中にあるわけではなかった。和希より歳が上だとはいえなずなもまだ十七の少女であり、本来なら人にこのような事柄を教えられるだけの経験や実感は、むしろ皆無だ。

 しかし、なずなは真摯に言葉を選び、和希を向きあう。和希を怒鳴りつけた繁雄の気持ち、なずなはそれを感じ取っていた。そしてその気持ちを和希に伝えたい、そう願っていた。


「女の子と男の子にはな、ひとつ大きな違いがあんねん。それはな、女の子はお母さんになれるってこと。赤ちゃんを生んであげられるってこと。女の子の体はな、そのために沢山のものがついてる」
「…おっぱいもそのひとつってこと?」


 あけすけな和希の物言いに、なずなは頬を少し赤くして頷く。


「…でも、そやからってなんで見せるなってゆうん」
「それはな、悪いことに使おうとする男の人がいるから」
「…わけわからん」
「ごめんな、かっちゃん。私もよぉ上手いこと説明してあげられへん」


 弱々しく、なずなは笑った。缶を持たない左手に、ぎゅっと力が入る。


「でもな、これだけはわかって。そうやって悪いこと考えて、女の子のことをめちゃくちゃにする男の人が世の中にはいるってこと。そうやってめちゃくちゃにされた女の子はな…」


 なずなはその光景を想像して、こみ上げた吐き気をこらえた。固くまぶたを閉じ、


「赤ちゃん、生んであげられなくなることも、あるんよ」


 何とかその言葉を、ひねり出した。
 その姿は、思わず和希に息を呑ませるほど切実だった。

 正直なところ、和希はなずなの言っていることはきちんと理解できていない。

 それでも、あのなずなが――気が付けば何もないところで転んでいるほど抜けていて、年少の和希に馬鹿にされても気弱に笑っているだけのあのなずなが――こんなにまでして何かを伝えようとしている、それだけは痛いほど感じ取った。

 なずなはベンチの上に缶を置く。そして両手で和希の右手を取り、ぎゅっと握った。


「しげちゃんはな、かっちゃんにそんな風になってほしくないねん。だから、胸を見せるなんて、そんなことゆうてほしないねん。簡単に胸を見せれば、悪い男の人が寄ってくる。そんな悪い人に、かっちゃんを傷つけられたないねん、しげちゃんも…私も」


 そして、くしゃりと笑った。
 そんな顔を見せられては、和希はもう何も反論することはできなかった。

 しゃーないな、そう言おうとしたその時、


「かずねぇ、なずねぇ」


 それまで黙っていた美也がそう呼びかけきた。


「どした、ミヤ」
「あれ」


 応じる和希に美也は一言で返して、前方を指差した。
 和希もなずなも、つられてその指の先を見やる。そこには―――



「ハァ……ハァ……ねえちゃんら……………………………………………おっぱい、みしてぇや…ハァ…」



 このクソ暑いのにロングコートを着込み、ニット帽とサングラスを着用、おまけに編み上げブーツまで履いて、頭の先から靴の先まで全身黒で身を包んで息を荒げる、正真正銘どこに出しても恥ずかしいまでに模範的な変質者が、いた。



◆◇◆次へ(8/29以降公開)
◇◆◇もくじ



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当ブログ及び小説家になろうにて、『ミス・アンダーソンの安穏なる日々』『八奈結び商店街を歩いてみれば』を連載しました。前者はおねショタ小説で、現在公開休止中です(無敵の女傭兵ミス・アンダーソンを抹殺すべく派遣された羊ショタ執事悪魔(レベル1)のどたばたコメディ)。後者は大阪のどっかにある商店街が舞台のなにわ人情お約束劇です。

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