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青川青子様アリスチルス月面研究所)作の『僕とQ』『Aとわたし』を読んで
もうちょっと語らずにはいられなかったので書きました。

ネタバレフルスロットルになりますので、お気をつけて…。
 最初ね、TS(トランス・セクシャル)モノって聞いたんですよ。ご本人から。

 TSモノというと、私の浅はかな理解によると、
「朝起きたら俺、女の子になっちゃった! これからいったいどーなるの~?!」
「ある日あいつとぶつかったら、心と体が入れ替わっちゃった! 今日から男子…って無理ですからー!」
と、これに尽きます。

 うん、まぁ正直、苦手なジャンルです。今巷で話題のいわゆる“男の娘”も、ぶっちゃけOUTです。嗜好というのは個々人の自由であるべきであるとはわかっているので言いませんが、こう、盛り上がってたりするのをTLなんかで見るとすごくモヤッとするわけです。
 でもTSモノも大分メインストリームに乗っかって来てるし、どういうものかは把握しときたいな、という下衆な心があって。そこに青川さんが「『僕とQ』『Aとわたし』残部少です」と呟かれていて。青川さんのお話だし、間違いないだろうと思ってお取り置きいただいたのです。

 青川さんの物語は『うさしょ!』に寄せられていた短編とサイトに載せられていたものを拝読したばかりでまだ深く語れるほど知らないニワカなのですが、それでも確信していることがありました。「ああ、この人はとてもやさしい物語を書かれる方だなぁ」と。それは皮相的なものでなく、誇大的なものでなく、今現代を生きる一般人である私たちが抱える“小さな”苦しみや悲しみに、真剣に苦しみ悲しんで、何とか乗り越えた人が、同じような目に遭っている人にそっと分け与えるようなやさしさで、そういうやさしさに満ちた物語を書かれる方だなぁ、と、そう思っていたのです。
 そんな青川さんの書かれた物語だから、多分最後まで読むことはできるだろうとページをめくりました。

 甘かったです。
 舐めてました。

『僕とQ』『Aとわたし』は確かにTSものです。
 ですがそれは入れ替わりなんていうチャチなものではなく、ガチのトランス・セクシャル――生まれながらにして身体と精神の性にギャップをもつ、現実に存在する人々の物語でした。




 もうネタバレフルスロットルって銘打ってあるので言っちゃうんですけど、A(『僕とQ』の“僕”)は自身を男性称で呼ぶ女性。Qはその逆で、“わたし”という一人称を使い、男性の体を持ちながら女性の精神を持つ人物です。Aが“僕”を使う理由は「中二病的な者の名残ではないかと推測されます」と解説で作者ご本人が註を与えているとおりで、そこまでTSというものに苦悩を感じている描写はありません。ですがQの苦しみは深刻で、『Aとわたし』でQの心情を窺うことが出来ます。

 一人称で進められる2作ですが、実はその辺りの事情を表現するためのギミックで、特に『僕とQ』ではまんまとひっかかり、途中までAのことを男の子だと思っていました。途中、Qとのデートのためにスカートを持ち出すAのシーンを見てようやく「…おおぁ?!」となる馬鹿者。ただ、これは演出がうまいのもありまして、『僕とQ』では決してAとQが男性or女性であるとは明言されていないのです。次作『Aとわたし』ではいくつかそういう言葉が出されていましたが、『僕とQ』のそれが徹底されている、これはこの作品のすごい点のひとつとして挙げておきたいです(自分の阿呆さを弁護するためではなく)。

 ただ、いわゆるそういう叙述トリックを描くための物語で終わっていないのがやはり素晴らしい。読み手を驚かせるためだけにそういう仕組みを入れて、それで終わるだけの話というのはあまりすきじゃなくて(というのも簡単にだまされるから)、そういう物語にあたると辟易するのですが、『Q・A』には全くそういういやらしさを感じませんでした。ではなんのためにそのギミックがあるのか? それはQとAというキャラクター――というよりむしろ最早一個の“人物”――をありのままに描くためでした。

 呟きのほうでも書きましたがAはともかくめんどくさいです。そのめんどくささのひとつの象徴として、“僕”があるわけです。本当は、Aは“私”でも“あたし”でも“ウチ”でも、使うことは出来るでしょう。ただ何か、それを使うには心にしこり(例えばそれは中二病の名残なのかもしれませんが)があって、使ってしまえば本当の自分ではないと感じている。Qの方はより深刻で、Qは体の性通り男装をすることは抵抗がないものの、心まではそうもいかなくて、“わたし”と自らを呼ぶ。顔や髪はきれいに手入れして、Aも感嘆するほどの仕上がりを見せる。でも外から見るQはやはり男性で、ふとした折りに「お兄さん」なんて呼ばれたりして、それにどうしようもなく傷ついてしまう。そういう、繊細な、自立したひとつの存在です。

 物語を書く上でそういった要素は省くことは、できるかできないかで言ったらできるでしょう。QとAをもっとわかりやすい、抽出された、要素の整列されたキャラクターにすることは、可・不可で言えば容易に可能です。でも、それでは意味がないのです。めんどくさい自我を自覚し受け止めて生きるAの力強さや、自身の内にある矛盾に内からも外からも傷つき、それ故にAに癒され、いとおしく想うQの気持ち。そうしたふたりがお互いを傷つけないように、そっと手を伸ばして、ちょっとずつ近づいていく。作中のそんな描写にこの上なく涙がこみ上げてくるのは、QとAを一個の人間として書ききられているからです。

 そしてそこにはトランス・セクシャルに対する作者様の真摯な姿勢も窺えます。TSというとどうしても性同一性障害とかそういうのが思い浮かびますが、実際のところはより幅広く、というかほぼ十人十色です。体が男で心が女の人が、必ずしも体も女になりたいかというとそうではなく、そういう人もいれば、Qのように男性装を納得できる人もいる。TSの人が自身の抱えるギャップをどこまで許容できるかは人それぞれで、そのギャップを解消したいかというのも人それぞれ。というかそれって、人には皆個性があるから全員違うっていうのと最終的には同じ問題なんですけれど、心身の性のギャップがあるってだけでそれが見えなくなってしまう。『僕とQ』『Aとわたし』が真にトランス・セクシャルを描いているのはそこで、QとAを敢えて“男”と“女”で区切らない、その徹底に心から拍手を贈りたいです。

 と、TSを取り扱った作品として素晴らしいというのもわたしがすきな理由ですが、もうひとつ大きな理由があります。それはQとA、ふたりの関係性があたたかく、丁寧に描かれていることです。

 作中、大きな事件は起こりません。どこにも釣り橋効果はありません。あたりまえの、ありふれた、キャンパスライフ。数多の大学生が謳歌するその中に、ふたりの物語はあります。Qの誘いで一緒に授業を受けるようになったことをきっかけに、昼食やデートなどふたりですごす時間が、ゆっくりと、どこか不器用に重ねられていく。そこで駆け巡っていくAのときめき、喜び、不安、決意。これがありありと感じられるのは、また一人称ならではです。なによりもそれらの感情が、ただただ純粋に伝わってくるのです。それはいつもAが、自分のことでなくまずQのことを想って物事を考える、その姿勢が描かれているからでしょう。

 オタクで、めんどくさくて、一人称が“僕”のA…お世辞にも、この世の春の王道を歩いてきたとは言えません。そんなAには、高校で密かに憧れていたQと一緒にいれる、それだけが何よりも嬉しい出来事。「夢みたいだ。後期はQに毎週会える!」「後になってみると本当に恐ろしいことだ。僕ばかりしゃべっていた。Qは楽しいのだろうか。」「デート、デート、デート。ああもう、髪型だけでなく頭の中までゆるふわになってしまったのか、僕は!」数々のAの言葉が、まっすぐに胸を打ちます。小さな幸せを大切に喜び、小さな不安を100倍にして震えるその姿が、貴く思えます。対するQのAに対する想いも切々とこみ上げるものがあります。『Aとわたし』の冒頭で、「Aとわたしの時間は、Aの言葉であふれていた」という一文を見たとき、ああ、本当にこのふたりが幸せでよかった、としみじみ実感しました。

 想いあう、ということなのだと思います。恋愛を描くものはどうしてもなんか想いの擦れ違いだとか報われなさだとか葛藤だとか、そういうある種のスリルを伴っていますが、『Q・A』ではただただ互いを想いあう――そして、自分をわかってほしいという切実な想いだけが描かれます。お互いに、人には容易に理解されない事情を抱えていて、社会一般とは相容れないと考えている。でも、どうしてもかけがえのない人と巡りあえた。その人に自分を、わかってほしい。そして、とっても大事にしたい。――そういうQとAの真心が、あふれている。そのぬくもりが読んだ端から伝わって、やさしい気持ちになれるのです。

 一人称が、とか、ギミックが、とか散々言いましたが、青川さんの筆にはそういう言葉から連想される嫌味なものは感じられません(そういう言葉を以てしてしか表現できないのは私の拙さ…)。青川さんはただただ、我が子に等しいQとAを、最大限の愛を以て描き切ります。そこにはなんのてらいもありません。だからこそ、しみじみと胸に広がるやさしさが、作品中にあふれているのでしょう。

 AがQを愛したように、わたしもいつか、誰かを愛したい。そう思わされる、紛れもない傑作でした。
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当ブログ及び小説家になろうにて、『ミス・アンダーソンの安穏なる日々』『八奈結び商店街を歩いてみれば』を連載しました。前者はおねショタ小説で、現在公開休止中です(無敵の女傭兵ミス・アンダーソンを抹殺すべく派遣された羊ショタ執事悪魔(レベル1)のどたばたコメディ)。後者は大阪のどっかにある商店街が舞台のなにわ人情お約束劇です。

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